マニラでの研修を終え乗船のためまずは乗り継ぎの那覇へ。経由時にコントラクターと合流し他のクルーたち10人と会い少なからず安心した。厨房で働くという1人がフレンドリーで船内のことで気になっていたことを丁寧に教えてくれた。
フィリピン、インドネシア、ベトナムなどアジア各国から来た不思議な10人グループになるがどうも私たちは溶け込めてしまう…後から知るがクルーはこの3カ国に中国、ネパールを足した5カ国で全体の80%以上は構成されている。
契約が始まること、つまり乗船をサインオンと呼びます。
10日間ではあったがずっとフィリピンで食事をしていただけあって空港で食べたファミマのカレーに感動。
宮古島に到着し空港で待っていたポートエージェント(港の管理人)の先導でバスに乗り込み平良港へ向かう。
宮古島は港がクルーズ船に対応していないためテンダーボードという小さな船んと言っても150人乗り)に乗ってクルーズ船まで行くイレギュラーなポートだ。
全国各地でクルーズ船受け入れのため港の整備が進められており石垣島も以前までテンダーポートだったが現在はクルーズターミナルがある。
船内に入りウエイターの所属するF&Bデパートメントのオフィスへでマネージャーを待つ。
ここでクルーズ船で働く基本事項を説明する。
(※完全に個人例ですがもし乗船クルーを考えてる人が見ていたら参考までに)
契約社員として期間は9ヶ月(紙面上)
多少の前後はもちろんあるが普通のクルーズ会社は平均6ヶ月。筆者はこの会社ではぴったり8ヶ月、240日働いた。
給料は一般的なサラリーマンより少ないのが現実だがポジションによってかなり異なるのではっきりとは言い切れない。
当然かもしれないがいざやってみて嫌なのでポジション変えてくださいというのが出来ない。仕事内容の好き嫌いに関係なく契約を交わしたら契約期間ずっと働き続けなくてはならないからこそ最初のポジション選びはとても大事。 このコントラクトはウエイターとして乗船したので職場はレストランになる。
わたしがこのSクルーズにいた時は途中で自発的にリサイン(下船)するとマニラの研修代、宿泊代さらには自宅までの旅費など全て自己負担になる契約。
今思い返すとかなりの覚悟が必要だ。
そして船に乗った日の夜から筆者はブッフェレストランに配属され仕事を開始。マニラの船員学校から時間を共にしてきた彼はコース料理のレストランに配属なった。部屋(この船は4人部屋)は同じ。
リネン生地のピンク…ネームバッジに入ったJAPANに心なしか重みを感じた初日。上の黄色いのは元気よく接客します!と書かれた新人バッジ。勘弁してくれ…
そしてクルーズ最大の魅力はバケーションだろう。
次の契約まで平均2ヶ月の休暇が与えられ晴れて自由の身だ。期間は状況次第でかなり前後するが通常この間は無給。契約中は無休…。
もちろん契約社員なのでコントラクトやりきれば、次に船戻るか戻らないかは自分で決めれるがそのやり取りはたったメール1通で完了してしまう儚さ。
入れ替わりが激しい分、常に求人募集しているので船で働く窓口は意外と広いかもしれないがこれもポジションによる。 探し方は奥飛騨編のブログを見てください。
ブッフェは朝〜夜まで終日オープン。もちろんシフトで別れはするが1日平均10時間は働くのでウエイターはそうとうタフじゃないとやっていけない。
そんな訳で香港資本の会社が運営するSクルーズのSSV(現在は名前を変えて就航している)に乗船。 船の大きさは乗客2400+乗員700のキャパがありクルーズ業界では中型よりやや小さめといったところか。
乗客の出身国の割合は大抵、ホームポートがどこにあるかで決まる。この船はフイリピンのマニラと台湾の基隆(Keelung)の2つだったのでフイリピン人が6割、台湾人4割くらい。
サインオン当時は沖縄(宮古島、石垣島)へ行く5日間のショートクルーズをしていた。
無事に乗船までたどり着いた安堵感とこれから始まる船内生活の不安とを抱えながら船は宮古島を出港。
基隆、マニラと東シナ海を南下していくのだが何か違和感を覚えた…マニラ?? わざわざ乗り継ぎまでして宮古島に飛んだ意味はあったのだろうか。続く