All in my head

1994年生。元客船クルーの航海日誌 / インスタ@imknto はリアルタイムで更新中!

基隆/台湾 クルーズ船でウエイター240連勤③ 船外でリフレッシュ!

ウエイターとして乗船した筆者は朝〜晩まで毎食レストランで働きピーク時は時間も忘れるほど忙しかった。 レストランは後方14階にあり見晴らしがとても良く、少しでも手が空いたらオープンデッキに出て海をぼーっと眺めるのがクセに…そんな最初の1ヶ月。

ブッフェなので料理に触ることはほぼなくテーブルの片付け、カテラリー、グラス、皿などの補充がメイン。

同僚はもちろん、シェフと皿洗い、洗い場の掃除をするスチュワードたちとも毎日顔を合わせるので自然と仲良くなり分ったのはウエイターとは完全な体力仕事ということ。

ホテルの婚礼バイトで習得した皿3枚持ちやワインの注ぎ方はここでは何の役にもたたなかったがそれはそれ。

見返すとこの頃からポートレートっぽいのを撮っている…そんなワーカホリックな5日間クルーズの希望は唯一ブッフェ全体がクローズする基隆のランチオフ。

短いお昼の空き時間。疲れ果てた心身をどう効率的に思い通りリフレッシュできるか試行錯誤が続いた。

1日の半分をブッフェレストランで過ごし、仕事が終わっても4人部屋の喧騒ライフ。 冷静に外出時くらいは人混みを避けて1人になりたい。

● 基隆廊口夜市 / Keelung Night Market

大きな台湾名物夜市が基隆にもある。ツーリストスポットながら夕方から夜は地元民も加わりさらに賑わう。

立派なお寺がありフードコートが境内にまで広がる光景は一見の価値あり。だいたい100〜200元で屋台は食べれます。

夕方になるとライトアップされて雰囲気良好ですがそこは船の出港時間次第。

● SHIN-SHIN SEAMEN'S STORE

前回のブログで書いたように多種多様な船がたくさん着く基隆には奥深い事に船員向けの店まである。

狭い店内ながらフリーWi-Fi完備。ゴールドや香水、台湾土産にポケットWi-Fi、SIMカード、フィリピンのお菓子などなど船員心をくすぐる雑貨が並びついつい買いそうになる。

ちなみにクルーの給料はアメリカドル。両替時も好レートのここを利用。

美味しいタピオカミルクティが隣の店で55元で飲めるが、筆者がまず行くのはこちらの2店舗だ。

● Windsor Bakery / 温莎堡

まず初めにパン屋さん。意外に思うかもしれないが麺もご飯も試した結果、台湾のパンが1番日常に近く落ち着く味だった。

思うがまま、値段も見ずにパンをトレーにのせることでストレス発散。おすすめはしょっぱい系より甘い系(ほんとに全部美味しい)で船内持ち込めて日持ちする。パイナップルケーキも1つから購入できおすすめ。

● Louisa Coffee / 路易莎咖啡

台湾チェーンのルイサコーヒー。ここは心の拠り所で素晴らしいが詰まっているお店。仮にショアリーブ(外出許可)の時間が少なくてもルイサにだけは行く。

スペシャルアメリカーノをゆっくり飲みさっきのパンを食べながら一服するのがルーティンだ。 WiFiも快適で家の近くにこんなカフェがあればなと思わずにはいられない…2階は広々していてもっとチル。

総合的にメニューの多さ、内装のデザイン、マグカップの大きさ、店員さんの親切な接客(英語にも対応)、お手頃な値段…100点に近い。

さらには精製方法、原産など味の趣向で選べるドリップパックのボックスまで買えてしまう。

乗客の大半は、せっかくの機会だからと意気込み朝からバスツアーで台北に向かう。

故宮博物院や101へ行き、言わずと知れた鼎泰豊で小籠包ランチ。急いでお土産買って…と限られた時間の中でベストを尽くすのは大切だが少し忙しない。リピーターになればなるほど船内の時間を楽しみ寄港地は買い物だけして終わりだったり。

寄港日を楽しみにする心持ちはクルーも同じだが時間の使い方は違う。いかに疲れないか、これ。

散歩して、コーヒー飲んで(ビールも飲んで)軽く食べて小腹を満たす。でもそれらは全てリフレッシュして元気いっぱいの状態で船に戻り仕事にとりかかるため。

その究極と言える店がピンクの提灯が美しい裏路地にある。

● 東霖煎餃 

台湾では珍しい焼き餃子専門店だ。大きく重みのある餃子に特製ソースをかけるのがローカル流。でもここには珍しく普通の醤油があるので筆者はそっち派。

桁違う量のキャベツの隙間を肉汁が溢れ出す餃子は外カリカリ中もちもちで1つ12元。(1元は約4円計算でお釣りくる) メニューは餃子と酸辣湯のみで気持ちいいくらいメニー蘭スッキリ。

基本はテイクアウト。スクーターがひっきりなしに店前に来る。食べてくとなると、長テーブル一つを囲んで相席する。(ビールは売ってないので持ち込み)

もしゲストとして乗船した際はクルーと話すようにして寄港地のおすすめを聞くのもありよりのあり。

みんなフレンドリーですし一つ、二つはストックを持っているはず。自然と会話も増えてクルーズがもっと楽しくなるかも? 基隆編続く


基隆/台湾 クルーズ船でウエイター240連勤② 凱旋した雨の都

今回の基隆に関する内容はブログを始めてからずっと書きたかったがここというタイミングが分からずかなり長い間、脳内にため込んでいた。

筆者は台湾が大好きで、乗船後に知るこれから何度も台湾に行くという事実は相当に嬉しかったしこのコントラクトの後、転職してPクルーズに行くがやはり基隆に行く航路にあたる自分は何か縁があるのかもしれない。

初海外の台北から3年、このような形で台湾に戻ってくるとは当時思いもしなかった。

実は千と千尋の景色で有名な九份に行ったある日。電車で瑞芳駅に行きそこから乗ったバスが真逆の方向で着いたのがここ基隆だったのもどこか運命的。

小雨が降る肌寒い中、何もない港に着いてしまい絶望したのを覚えている。

でもそのおかげで九份に着いたのは夕方になり綺麗な夜景が見れたから良かったが…日本人の多さには驚いた。

台湾北部にある基隆(Keelung 読み方は中国語だとジーロン)は首都の台北から車で小1時間。公共機関でも気軽にシティへアクセスが可能で本数も充実。

船が街の景色に溶け込む基隆港は毎日のように各国から大型クルーズ船が就航しており、対岸に二隻同時停泊できるクルーズターミナル2つ。更にコンテナターミナルも有するこの港は台湾経済において重要な役割を担う。

クルーズというのは航海日(Sea day)と寄港日(Port day)の2つに分けられる。

クルー目線で言うと航海日は終日船が進み続けるので乗客全員が船内にいる。従って働く時間も増えるが、寄港日は着岸し乗客が下船して観光に行くので働く時間は減り休み時間が増える。昼寝するのもよし、外出するも良しだが筆者はお分かりのとおり後者だ。

宮古島の乗船から4日後。IDの発行が完了し、タイミングが合って初めて外出できたのが基隆だった。

クルーは免許証のようなIDカードをスキャンするだけで税関がない限りパスポートは必要ない。

外出のことをショアリーブ(shore-leave 意味は上陸許可)と呼び、仕事から解放され自由に街を歩いてちょっと買い物するそんな一時がクルーにとって何よりの幸せ。

船を降りれたハッピームードも束の間、陸酔いを体験した。船は大きいのでそこまで揺れず(個人差あり)船酔いはしなかったのだが…平坦な道を歩いてるだけで揺れてる感じがして気持ち悪い。

非常に困っていたが次第に治って一安心。

基隆は別名「雨の都」と呼ばれるほど雨が多く年間降雨日数は200日オーバー。日差しは重い雲に阻まれ、 2日に1回以上の確率で雨が降るこの港街は湿った空気で包まれている。

台湾ならではのアーチ状建築のおかげで濡れずに歩けるし雨の振り方もザァザァよりかシトシト、、なので傘をさす人は少ない。

曇りで期待以上、晴れてたら超ラッキーと思うべし。

バイク、スクーターの多さにも目が慣れてくる。バックパッカー旅行中はレンタサイクルでよくドライブする筆者だが右側車線かつ一方通行ばかり、さらに駐車ルールも不明な台湾市街地での運転は不可能だ。

街はブロックのように四角く区切られているがどの道も交差点も似ているので迷いやすい…港を出てまっすぐ歩くこと10分。

基隆の台所とも言える仁愛市場の雰囲気はローカルマーケット好きにはたまらないだろう。

肉の新鮮さは日本のスーパーの比にならない。 旅行者にとって市場は買うところではなく見るところかもしれないが行くことで現地の人々の暮らしや生活に触れることができる。 二階にはフードコートやマッサージ店などがひしめきあっているがその中で一線を画すのが...

Anygood coffee / 多好咖啡店

明らかに浮いてる現代的なコーヒーショップが伝統のある市場の真ん中にある心地よい違和感。これは現地に行くとより鮮明にわかるだろう。

筆者と同世代のバリスタを中心に店も若い人たちで賑わい、時間によっては満席もしばしば。 台湾人はお茶も好きだが本当にコーヒーが好きだ。

浅煎りをハンドドリップで飲み比べたり、こだわりのコールドブリューにスイーツといったSNS世代受けのいいラインナップ。

元あった店をリノベーションし、違った世代のローカルコミュニティが顔を合わせれるとはなんと素敵なことだろう。この理想的な一連のプロセスは日本も参考にしたい。基隆編は次に続く


宮古島/クルーズ船でウエイター240連勤① 待望のサインオン

マニラでの研修を終え乗船のためまずは乗り継ぎの那覇へ。経由時にコントラクターと合流し他のクルーたち10人と会い少なからず安心した。厨房で働くという1人がフレンドリーで船内のことで気になっていたことを丁寧に教えてくれた。

フィリピン、インドネシアベトナムなどアジア各国から来た不思議な10人グループになるがどうも私たちは溶け込めてしまう…後から知るがクルーはこの3カ国に中国、ネパールを足した5カ国で全体の80%以上は構成されている。

契約が始まること、つまり乗船をサインオンと呼びます。

10日間ではあったがずっとフィリピンで食事をしていただけあって空港で食べたファミマのカレーに感動。

宮古島に到着し空港で待っていたポートエージェント(港の管理人)の先導でバスに乗り込み平良港へ向かう。

宮古島は港がクルーズ船に対応していないためテンダーボードという小さな船んと言っても150人乗り)に乗ってクルーズ船まで行くイレギュラーなポートだ。

全国各地でクルーズ船受け入れのため港の整備が進められており石垣島も以前までテンダーポートだったが現在はクルーズターミナルがある。

船内に入りウエイターの所属するF&Bデパートメントのオフィスへでマネージャーを待つ。

ここでクルーズ船で働く基本事項を説明する。

(※完全に個人例ですがもし乗船クルーを考えてる人が見ていたら参考までに)

契約社員として期間は9ヶ月(紙面上)

多少の前後はもちろんあるが普通のクルーズ会社は平均6ヶ月。筆者はこの会社ではぴったり8ヶ月、240日働いた。

給料は一般的なサラリーマンより少ないのが現実だがポジションによってかなり異なるのではっきりとは言い切れない。

当然かもしれないがいざやってみて嫌なのでポジション変えてくださいというのが出来ない。仕事内容の好き嫌いに関係なく契約を交わしたら契約期間ずっと働き続けなくてはならないからこそ最初のポジション選びはとても大事。 このコントラクトはウエイターとして乗船したので職場はレストランになる。

わたしがこのSクルーズにいた時は途中で自発的にリサイン(下船)するとマニラの研修代、宿泊代さらには自宅までの旅費など全て自己負担になる契約。

今思い返すとかなりの覚悟が必要だ。

そして船に乗った日の夜から筆者はブッフェレストランに配属され仕事を開始。マニラの船員学校から時間を共にしてきた彼はコース料理のレストランに配属なった。部屋(この船は4人部屋)は同じ。

リネン生地のピンク…ネームバッジに入ったJAPANに心なしか重みを感じた初日。上の黄色いのは元気よく接客します!と書かれた新人バッジ。勘弁してくれ…

そしてクルーズ最大の魅力はバケーションだろう。

次の契約まで平均2ヶ月の休暇が与えられ晴れて自由の身だ。期間は状況次第でかなり前後するが通常この間は無給。契約中は無休…。

もちろん契約社員なのでコントラクトやりきれば、次に船戻るか戻らないかは自分で決めれるがそのやり取りはたったメール1通で完了してしまう儚さ。

入れ替わりが激しい分、常に求人募集しているので船で働く窓口は意外と広いかもしれないがこれもポジションによる。 探し方は奥飛騨編のブログを見てください。

ブッフェは朝〜夜まで終日オープン。もちろんシフトで別れはするが1日平均10時間は働くのでウエイターはそうとうタフじゃないとやっていけない。

そんな訳で香港資本の会社が運営するSクルーズのSSV(現在は名前を変えて就航している)に乗船。 船の大きさは乗客2400+乗員700のキャパがありクルーズ業界では中型よりやや小さめといったところか。

乗客の出身国の割合は大抵、ホームポートがどこにあるかで決まる。この船はフイリピンのマニラと台湾の基隆(Keelung)の2つだったのでフイリピン人が6割、台湾人4割くらい。

サインオン当時は沖縄(宮古島石垣島)へ行く5日間のショートクルーズをしていた。

無事に乗船までたどり着いた安堵感とこれから始まる船内生活の不安とを抱えながら船は宮古島を出港。

基隆、マニラと東シナ海を南下していくのだが何か違和感を覚えた…マニラ?? わざわざ乗り継ぎまでして宮古島に飛んだ意味はあったのだろうか。続く


マニラ/豪華客船内定!乗船のために船員学校へ②

乗船クルーになる前に船員学校に通うことでよりローカル目線で彼らの生活環境や人間性を観察できたのは大きな経験だった。

まずは雇用形態の話をするが日本人クルーは直接雇用( Direct hiring )しかし本来は間接雇用でエージェントがおり彼らが仕事を斡旋するのが基本形。 フィリピン人の場合は事前にある程度ポジションを絞りその勉強、アルバイト経験を陸で積みながら乗船のタイミングを待つのが一般的とのこと。

朝から昼のクラスは学校が終わると足早に仕事に向かう人たちが大半。 学費は会社持ちの私たちにとって複雑な心境になる事もあったがなるべく考えず、まずは乗船のために毎日のテストをパスすることに集中した。

そしてついに最終日、実技試験のためスクールバスで郊外にある施設へ向かった。片道2時間かかるためこの日の朝はいつも以上に早く真っ暗の朝4時半にホテルピックアップの5時出発。

全身ツナギを着用。実際の炎を前に消火訓練したり暗闇の中にグループで入りマネキン救助をしたり…座学でやったことの復習、実践を行う。

最後はプールに飛び込んで輪を作った。これは本当にアバンドンシップした際にやるらしいがその時は来ないのが大前提。 エンジンのボスが言うに今の船舶技術ではタイタニックのような事は絶対に起きないそう。

クラスで仲良くなった3人組、そして先生と記念撮影。

バスが走るべきではない細道を抜けてゆく。教会を抜け道が開けるとパイナップル畑が広がっていた。

疲れがどっときて眠かったが真っ赤な夕陽が美しかったのは鮮明に覚えている。

マニラにいるととにかく教会をたくさん目にする。その理由として過去にはスペインやアメリカに統治されていた歴史を持つためカトリック系が多くアジア最大のキリスト教国だ。

イントラムロスとよばれる城壁都市にはサンチャゴ要塞やマニラ大聖堂などメジャーな観光地が集まる。

マニラ中心部のマカティだけはしっかりインフラ整備され限られたエリアだけ見れば東京とあまり変わりないようだった。 市内ではバイタクはもちろん、ウーバーやグラブなどの配車アプリが日本よりずっと充実している。それに乗って一歩シティを外れれば風景は一変。

東南アジアあるあるで気になるのは鼻をつまみたくなる異臭と埃、散乱したプラスチックゴミ。 シングルマザーやストリートチルドレン、野良犬といった光景ばかりが目に入る。

中でもチャイナタウンの汚染レベルは桁違い。

パシグ川を越えて貧困層が集まるというこの地区…

教会の敷地内にゴールリングを置くほどフィリピーナはバスケ、NBA、ナイキが大好きなお国柄。

たまたま入ったビノンド教会ではウエディングが行われていた。ピンクゴールドのゴージャスな内装は斬新。

世界の大手クルーズカンパニーが続々と参入する東南アジア、ASEAN諸国においてフィリピン、マニラは大きな鍵を握るポートの一つだと思う。

近年の経済成長率5〜6%の数字が示す通りフィリピン経済は上向きだ。国内でのリッチ層が増え続けているためゲストとして乗船してくるからだ。彼らとクルーの間にある経済格差は凄まじくこれがある意味、資本主義の縮図なのかもしれない。

話は Compass school に戻り10日間の授業、実技を修了し待ちに待った船員手帳を貰った。

船員手帳の証明写真はローカルカメラショップで私服で撮影し、ネクタイとスーツを合成したもの。 発行がバハマなのは乗船予定の会社の船籍が関係している。

必要書類を揃えて校舎に別れを告げた最終試験翌日。メールが人事部から届き行先が告げられた。夜中にはどうやらマニラを飛んで那覇…からの 宮古島?!

とにかく準備はできた。辞退しようとするほど追い込まれていた健康診断から5ヶ月…銀座と奥飛騨のバイト、そしてマニラの船員学校を経ていよいよフリーターは満を持して船に乗る。

マニラ/豪華客船内定!乗船のために船員学校へ①

生暖かい風が吹く3月初旬の首都マニラ、ニノイアキノ空港に到着した。2017年…自身2度目のフィリピン。

バックパッカー旅行のトランジットで旧市街へ行ったことはあったが泊まるのは今回が初めてだが緊張はなかった。タクシーのキャッチの中に紛れたエージェンシーを自力で発見し何とか合流しホテルへ。

巨大な日本資本のカジノ、オカダマニラを横切る道中に運転手と会話して知ったが、どうやらもう1人日本人の内定者がいるらしい。 相部屋を覚悟したがホテルは個室で驚き。 普段バックパッカーやってると個室に憧れすら抱く筆者。荷解きが終わりひとまずハイネケンを飲んでからマニラ湾を望むベイウォーク散歩。

やはり街の雰囲気を知るには歩くのが1番いい。

意外かもしれないが、フィリピンはカジノ大国でその数50以上。特にマニラのカジノはショッピングモールなど商業施設と隣接していたり、空港から近かったりとアクセスしやすく日本人も多いので比較的ビギナーも行きやすい。

現在、船で働いて3年目だが日本人のディーラーの友人もいて近々国内でも合法化の日は近いかもしれない。  

少し話が脇道に逸れたがシーマンスクール初日を迎えた朝、もう1人の内定者に対面した朝6時。授業が朝6時半からなので朝起きるのが何より辛い。

ホテルの一階がセブンイレブンとなんちゃってチャイニーズレストランでそこでフリーの朝食をとってから共に学校へ。

食べたくない時は学校の近くで朝マック。 ライスメニューの凄まじい違和感。

船員学校 Compass Training Center

校内の様子はなんだか塾のようで白を基調としてかなり内装はきれい。 授業内容は様々で緊急時の応急処置や船の構造、船金属探知機の使い方など日替わりで終わると毎日テストがある。全て英語で進み、授業ごとに講師が変わるがクラスの25人は10日間変わらなかった。男女比6:4といったところで年齢層は18〜40近い人もいたがあまり会話はしなかったのが現実。

国内で仕事をするよりも安定していてかつアメリカドルで国内と比較すると何倍、長く働けば何十倍もの給料がもらえるクルーズ船内の仕事を志望する若者は多い。そして彼らの発する熱量には驚嘆した。

つまり船で働く=「出稼ぎ」なのだ。

個人差はあるもののクラス内で全員が英語で受け答えするその姿だけでも日本人では考えられない光景だ。 おそらく朝から昼と昼から夜の二部制のようで入れ替え時のオフィスは人で溢れかえる。2人しかいない日本人(この学校で初の日本人らしい)はクラスでは確実に浮いていた。

クラス内で船の内定が決まっているのは私たちだけ。

わりと避けられてる感じはあったが私の態度も含め互い様かもしれない。その点、彼のフレンドリーな性格には助けられ彼のそばにいれば人が来た。幸か不幸か2人とも典型的な日本人顔ではなく特に彼は完全にアジア系のお顔をしていた…

奈良出身で関西弁の彼は当時29歳くらいで5個上の年齢以上に筆者は頼りっぱなしだった。ほぼ毎朝モーニングコールをしてもらい、朝食を取りにレストランに行くといつも彼はもう食事を済ませているほど。ランチも彼はクラスの人と食事するので便乗。

筆者は現地飯にとにかく弱いので持参したカップヌードルを頂く。東南アジアではよく目にするフィッシュヘッドは絵的にアウト。 船のクルーあるあるかもしれないが片手にフォーク、片手にスプーンのこのスタイルの食べ方がめちゃくちゃ上手くなる。箸の使い方を忘れるほどに…

スリーインワンのコーヒーは20円くらいで校内販売している。甘すぎるからあまり飲まないが授業中口が寂しいのでこれをストック。

船に関する知識をつけるにつれて豪華客船で働く実感が少しずつ少しずつ湧いてきた。

1日の授業が終わるのは2時。すると彼は職員室に行きピックアップの車を待つ時間で先生たちと会話をするのがルーティンに。テストの点数が悪く落ち込んだ時は隣の建物にある学校が経営するカフェ Compass Brew に行き彼が励ましてくれた。 居心地がとにかく良くWiFiという強い見方がいて学生ディスカウントの嬉しいサービスも。

朝方の生活スタイルはオーストラリアのファームと似ており帰ってすぐビールを買うのも同じ。 セブンにあるサンミゲルのフルーツフレーバー(ビール)が飲みやすくてとまらない。

叔母が買ってくれた電子辞書は高校入学から使っていて電波要らないので時にはスマホより便利。 マニラ滞在中は野菜を食べることがほとんどないのでビタミン剤と正露丸は必須。MTV映るのはありがたい。

学校が終わりマニラ郊外にあるホテル レッドプラネットに着いてからは自由時間。昼寝してから宿題を済ませて時間を合わせて夕食をよく共にした。キッチンもないし物価も安いので当たり前に外食。学費と宿泊費以外は自己負担なのでそこは割り切る。

歩いて15分ほどのところにあるロビンソンモールのフードコートに行くのだが本当にご飯の好き嫌いなく何でも挑戦する姿勢は素晴らしい。

彼もワーホリを経験しカナダでオーロラのツアーガイドをしていたという…何それかっこよと思わず口から出てしまった。ローカルジョブというだけでも私の畑仕事とはまるで天と地のような違い。

でもみんな違ってみんないいんですよね?

フィリピンペソの計算は楽で頭の中で2倍ちょいにすれば円のレートになる。食後は解散して思うがままにロビンソンモールでショッピングするのが息抜きに。

10日間の中で1回だけ周ってきた日曜日が休みでそれ以外は毎朝学校があった。なんとかテストをパスし最後の実技試験の日が刻々と迫っていた。

奥飛騨/乗船予定がリゾバ?冷凍庫内仕分け??健康診断でしくじるな!

 

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フリーターからクルーズ業界の契約社員を目指す今回の話。ここまでは indeed と Sクルーズを仲介するエージェントを通して連絡が来ていたが、直接雇用のため最終面接が終わってからは直接Sクルーズ人事部と英語でのやり取りが始まった。

 

メールで続々と送られてくる数十枚に及ぶ契約書にサインし、英語の診断書、予防接種、ドラッグテスト…そして船員手帳を取らなくてはいけないらしい。バイトの雇用形態上行った超簡易的な健康診断の結果を書いてみたがもちろん枠は空欄だらけ。

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なので英語対応可能な医師がいる新宿の巨大な病院に診断書を書いてもらうことになるがここから悲劇が始まる。

診断書を書いてもらって送ってはあれが足りない、これが足りないの繰り返しで結果3回病院に通った。いったい自分が悪いのかむこうの指示が的確じゃないのか分からなくなってくる。ドラッグテストって何よ…

そんなこんなで2017年は終わりを迎え年末年始は病院は休み、人事部も長期休暇に入り、メールの返信が1週間ないこともあった。もう少し早く進展すると見込んでいたため12月いっぱいで酒屋の配達バイトを辞めていたので2018年1月からは心機一転ホテルウエイターのバイトと派遣の冷凍庫仕分けなどもして1月をやりくり。

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−20°の世界はまつ毛も凍る。この間も病院通いは繰り返され時間だけが過ぎていく。人事部があるのはマレーシア(中華系)なので旧正月の関係でまた休暇に…特にこれと言って進展のないまま3ヶ月が経っていた。

このストレスフルな日々でこのまま家にいては頭がおかしくなりそうだったのでリゾートバイトで2週間だけ(最短)岐阜の奥飛騨で住み込みで働いた。

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ちなみに診断書代は乗船すれば$350は最初の給料とともに支払われるらしく要は乗船しないとキャッシュバックすらされない。それまでは全て自費…鬼。

この時点で相当な額を健康診断書に散財していたため少しでも働いてその分を回収したかったのが本音。福地温泉街にある老舗旅館なかまら訳ありで2週間という短い期間だったが受け入れていただき湯元長座さんには感謝しかない。

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1番近いスーパーが歩いて45分とお金を使わない環境としてはうってつけだろう。新海誠監督の映画 君の名はのロケ地として飛騨高山が突如有名になったことで海外からのお客さんが多い時期だったが、元より新日でディープなリッチ中国人客層に人気のエリアでもある。

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リゾートバイトは2回目で以前は山梨の富士吉田市にあるホテルで働いておりその記事は下記から読める。

( http://imknto.hatenablog.jp/entry/2019/02/06/ワーホリ前にリゾバをおすすめする3つの理由)

そこと比べるとここは規模も小さくスタッフの数も少ない。そのため布団出しからスリッパ並べ、雪かき、掃除、お土産の売店、食事出し、長い人はさらに食器洗い、風呂洗いなど流動的かつ総合的に働くことになる。

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ここの同僚である彼とはよく旅の話をした。と言うのも静岡出身の彼は6年間家に帰らずオーストラリアとニュージーランドワーホリを挟んで資金を貯めアジア〜南米へ旅行。道中で出会ったフランス人と旅を続け仮結婚を結び最後はヨーロッパへ。そんな話を写真とグーグルマップを広げながら彼の部屋で聞いた。私も人生相談じゃないが今後の展望と船の話をコーヒー飲みながらしたのはいい思い出でリゾバにきて良かったことの一つだ。

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常温だったビールを外に放置して冷やそうと思ったら凍っているほど寒い豪雪地帯。休日には同行して長野の松本城へ足をドライブすることもあった。文字起こしてて思ったが自分は人と仲良くなるのが早いのかもしれない…シャイだが。

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壁に染み出た水が凍ってできる氷の柱 青だるは何もないのが良さの福地温泉街が誇るツーリストスポット。

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埼玉に戻って数日後の2月下旬。この状況が続くようなら真剣に辞退も頭に浮かんだ矢先、ついに全ての診断書が揃い次の段階へ。ここまで本当に長かった…。

せっかくなので個人的おすすめスポットをもう2つ紹介しておく。ちなみに福地温泉街へのアクセスはこちら

 https://idou.me/tourist-spot/20

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旅館の隣にある居酒屋 多羅の木🏮

ここの中華そばと唐揚げ、そしてキリンラガー…絶品。宿での食事を終えてからここで一杯やりにくるお客さんがたくさんいるほど。

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昔ばなしの里 石動の湯 ♨️

寂れた福地温泉街朝市を抜けた先にある入浴料300円のコスパ抜群の温泉。風呂上りにこの囲炉裏を囲んでコーラと五平餅を食べながら読む沢木耕太郎深夜特急、これはまぁ贅沢。バックパッカーの教科書の一つだ。

私のAirPodsに驚いてる店主の様子を一枚。

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短い時間ではあったが充実した日々だった。毎日新しいことに挑戦しなくてはいけない環境とたった2週間で辞めていく身のゆえ失敗できないプレッシャー。ここで次のステップに行く前に気持ちをリセットできたと思う。

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健康診断の方はというと結果的にほぼ不要な診断書を病院からもらって(購入して)しまい普通に大赤字。今でもこのNセンターには恨みしかないがまあもう二度と行くことはないだろう。会計待ちの時、外国人がいたので話しかけてみた。すると彼はフィリピン出身で現在神戸製鋼の油田で稼働している船に乗っているらしくこれは船友(friend-ship)ということで実際の写真を拝見。
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いろんな船があるのだなと思いつつ話を聞いてるとめちゃくちゃ危険だらけだがその分給料が良いそう。よき出会い、名刺をいただいた。

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最後は船員手帳の取得。送られてきたメールには飛行機のチケットが添付されており羽田→マニラ…船員学校で10日間研修をして船員手帳を取って来いというもので学費とホテル代は会社が負担しそれ以外は自己負担。ここで証明書を取得できないともちろん乗船できずかつ授業代とホテル代が自己負担になり帰宅という最悪のシナリオは考えないようにしてフィリピンのマニラへ出国。

そんな脳内とは裏腹に初めての自費ではない海外にパスポートケースの歌川広重くらい心躍っていた。

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まとめ : 外資系クルーズ会社の応募方法

①日本語でキーワード検索すると日本人採用の枠が各クルーズ会社にあるはず。最初は国内の仲介会社(エージェント)を通して連絡が来るのが一般的。

②やりたいポジションが決まってる場合、先にクルーズ会社を検索してホームページから空きがあるか逆検索。

その後は同じでメールで履歴書(レジュメ)、職務経験書を送り待つ。返信があればスカイプで面接、そして健康診断、必要ならビザ取ってから乗船といった流れになるので受ける方は幸運を祈ってます。

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銀座/外資系クルーズ会社に応募、面接はYES MANになれ!

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旅しながら働きたいと思い紆余曲折を経てたどり着いた答えはクルーズ業界だった。

船に乗って働けるかもしれない、そんな考えが生まれたらいてもたってもいられなくなりグーグル検索したのはもう今から2年半前、2017年7月の話だ。

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前回書いたように当時、銀座で酒屋のデリバリーバイトをフルタイムでしていた筆者。

ウエイターとして乗船を目指し少しシフトを減らすことで新たにホテル派遣サービスに登録し、婚礼バイトもかけもちすることにした。

職場は酒屋から近いと言う理由だけで銀座の某ホテルで働くことに。八丁堀でシェアハウスしてたので通勤時間10分。

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なぜウエイターかと言うと船にはいろんなポジションがあるがどれもも職務経験がない。

レセプション、ゲストサービス、通訳、ハウスキーピング、ユーススタッフ(保育士)、シンガー etc...。

やはりウエイターはリゾートバイト先の旅館で配膳の手伝いをしたことがある程度だったが活路を見出せるかもという言わば一筋の希望だ。

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婚礼か宴会のどちらか。いきなり初めての結婚式で乾杯音頭のシャンパンをビールグラスに注いだのは忘れられない。客苦笑…。
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しかしウエイターという職業は大変だ。その時の上司たちは怒ると真剣に怖い人たちで宴会場に怒号が飛ぶなんて日常茶飯事。

 

どうにかうまく段取って機嫌を取りながらやっていたあの頃が懐かしい。それから数年後彼らはパワハラで解雇になったと聞いた時は時代が悪いとしか言いようがない。合間、合間に片手皿3枚の持ち方、ワインの注ぎ方など基礎をしっかり教えてもらった。

 

最低限、クルーズの面接時に今ウエイターとして働いてると前向きな方向で言えさえすればそれで良かった。

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まずは日本のクルーズ会社について知っておいて損はない。

 

国内に船籍(船の住所)を持つ船は…

郵船クルーズの飛鳥II

びいなすクルーズのパシフィックビーナス、

商船三井のにっぽん丸

 

この3つのみでその他の日本就航しているクルーズは全て外資。これら3隻は日本人向けで日本発着。送らないと始まらないくらいの感覚で名前に聞き覚えがあったYクルーズにウエイター枠で応募するも書類審査すら通らず撃沈。

この時点でもう心が折れそうな筆者…でもそんな程度では凹まないオーストラリアの畑で培ったメンタルで再挑戦。

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2社目はSクルーズという会社でG香港というカジノ業界でワールドクラスの売り上げを誇るグループ傘下の会社。

 

またウエイター枠で応募。写真は香港に旅行した時に見かけたSクルーズの船SSアクエリアス

この会社はたまたま求人サイトIndeedで見つけた。インディード外資系で多種多様な職種があり少し変わった仕事を探すときはいいかもしれない…

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ミニストップにしか売ってないエナジードリンクも後押し。

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当時、S社は日本発着クルーズを初開拓したばかりらしくバイトの配達エリアの一つ、有楽町のJTBに大きな広告がある事に後から気づいた。

いつもこれを見る度にワクワクしたし、とにかく環境を変えたかった自分は何でもいいから受かって早く船に乗りたかった。

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この堀江貴文さん(ホリエモン)が書いた本はモチベーションを保つのに非常に効果的でした。彼の考え方はかなり過激ではあるが間違ったことは言ってないなと納得させられる。近畿大学の卒業式でしたスピーチもお気に入りです。

 

10月にスカイプでマレーシア、クアラルンプールにある人事部と英語で一次面接。 

実はこの2年前、オーストラリアワーホリから帰国し八丁堀にできる外国人向けホステルのオープニングスタッフで申し込んだものの日本人との英語面接で上がってしまい落ちるというトラウマがあった。そのため同じ失敗は犯すまいと面接の日程が決まったその日からひたすら練習した。

今までの文面を書き出し抜粋し、声に出しての反復練習。面接前日は浅草にある英会話カフェ バイロンベイ で練習をお願いし駄目押しで自信をつけた。ここに入店したら日本語禁止のルールがあり意地でも辞書を引いてでも英語を話さなくてはいけないちょっとスパルタ空間。ある程度のレベルになったらこういうところで腕試しもいいだろう。浅草は安いホステル、バックパッカーが集まってるエリアでもあり1人で旅行してる人も多いので英会話目的にはぴったり。

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面接の質問はと言うと基本的に想定内で特に難しいものではなかった。

今までの仕事について、お客さんとして船に乗ったことはあるか、意外だったのは親の意見を聞かれたことくらいだ。

なぜなら契約期間が8ヶ月だから、それはつまり船に8ヶ月間乗り働き続けることを意味しその間は休日がないという。その時は半分冗談だと思っていたのだけど…最後まで根拠のない自信でYESと言い切った。

たまたまその年に東南アジア旅行でマレーシアも周ったので向こうの人が話す英語も聴いていたし実際に面接官の英語も非常にゆっくりでわかりやすかく安心したのを覚えている。

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WISE OWL HOSTEL TOKYO 

八丁堀駅出てすぐ。ホステルの地下がバーになっており泊まってる外国人と交流することができる。日本人スタッフも英語が上手で明るく話を振ってくれるので英会話初心者にオススメ。ゲームをしたりパーティを開催したり毎晩何かしらやってるの近くに行く機会ありましたら是非。

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一次の次は簡易的な翻訳テストがメールで送られ解答するというものだった。それはつまりわからない単語は調べれるし、外国の友人に丸投げしてもいい、あくまで形式的なもののような気がした。結果普通にパス。

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猫派の私は初めて行った豪徳寺で願掛け。

11月。ここが難関だ。次は実際に乗船している日本人のオフィサーとの面接で日本語か英語かわからなかったので2パターン用意し二次面接に臨んだ。いきなりスカイプのこちらの画面が映らないハプニング、むこうは船内(今考えるとおそらくブリッジ内)のためカメラオフ。

お互い音声のみでスカイプの意味がない…あまり冷静になれなかったが面接は日本語で進んだ。前回の内容とは異なり質問というより確認という感じだった。船内で英語は公用語だが実際は思ってるほど英語を話す機会はないかもしれない、英語をやりたいならここに来ない方がいい、本当に休みなしでやっていけるか、上げられて落とされたような感覚だったがYESとここでも言い切った。

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浅草の鷲神社で年に一度開催される酉の市にも足を運んだ。

やれることはやったから後はなるようになる、そんな気分で流れをおさらい。

 

書類審査→

一次面接→

翻訳テスト→

二次面接→

心理測定テスト

 

と進んだ数週後の11月下旬。

内定通知と乗船準備の吉報が手元に届いた時はもう歓喜。年末が近づく中、話は次のステップへと続く。