ミャンマーを訪れたのは初めてだった。東南アジアを中心に今まで旅行してきていつも現地の市場に足を運ぶのが習慣になり、もうだいたいの物には目が慣れているつもりでいた。初の托鉢文化を目の当たりにした。ラオスのは朝が早過ぎて見れなかったがヤンゴンは四六時中やっていて特に驚きはなかった。仏教的感覚がない完全に他人目線だとそれはもう寄付というより募金運動のよう…話を戻す。
バンコクからヤンゴンに夜到着し、翌朝 15th ストリートにあるバッパーから何かのブログで見た 26th ストリートに朝行ったほうがいいというざっくりとした情報をもとに向かうことに、ダウンタウン方向でもあり都合が良かった。
その道中、道路脇に止まっているトラックを見て唖然とした…荷台に人の足と鳥の脚が並んでいる。やばい、、謎の気合が入る。
26th ストリートに到着。道の番号が大きくなってくだけなので迷うことはなく逆も然り。
出だしから謎な品を発見。根っこも不気味だ。
山積みになったチキンが奥に見え生唾を飲む。
業者と思われるトラックやバイクが次々と入っていく駐車場、建物にもかなり年季が感じられ異様な暗さだ。
だんだんと露店が増えるにつれ五感から入る情報量に頭が追いつかなくなり路肩で立ち止まり一旦落ち着くことにした。働く人の動き、仕草、音、言葉、匂い、そういうものがよく見え過ぎると軽く吐きそうになる。これこそを人はカオスと呼ぶのだろう。
道の端っこに立って写真を撮っていたら店に怒られ理不尽だなぁと思いつつ歩き出す。それを見ていた別の店のおばさんと目が合い笑顔を見せてくれて何か救われた気がした。カメラを直に向けるのはまずい雰囲気が漂っているので横や背後から撮影することにした。
道の半ばまで来るとローカルの買い物客が増えてきて店も忙しくしている。野菜を洗うバケツに入った水がどうしてもきれいに見えなかった。
小ぶりの川魚がメイン。鯉やナマズ、ドジョウ、そしてエビがローカルに飛ぶように売れている。計りもあるが結局、値段を決めるのは天秤。そして片側には石がありそれと重さを比べ、腰を据えたおばちゃんが手掴みで魚数匹を選別し調整、値段が決まる。今何世紀でしたっけ?と一瞬考えてしまう光景。地面のカゴに入ったチキンはまだ生きている。その上ではガンッガンッと仲間たちが解体されていく。なんかつらい。生死の境がテーブル1つと思ったら泣きそうになる。
Adobeイラストレーターで円を作ってその中で野菜を整列させる機能を使ったかのようなディスプレイ…(わかる人にも伝わるかわからない)道が終わったので戻り隣にある屋根のある方の市場に入り来た道を戻る。
天井が高く湿った空気が流れる。すれ違うのに苦労する狭さの道に所狭しと並ぶ生地と衣類。
なぜか全くと行っていいほど観光客がいないこの市場。なので珍しいのかほぼ全員と目が合いときたまミンガラーバー(こんにちは)と言えば微笑んで返してくれる優しい人たち。
小1時間ほど歩いた。全体的に思うのはインド系の人の割合が多いこと。チーム托鉢の数。子どもたちから年配まで男女問わず一体何人の托鉢とすれ違ったかわからない。そんな仏教徒と共存するインド人系の多くはヒンズー教であるだろうし多国籍多民族多宗教国家を垣間見れる。
パゴダもいいがヤンゴンの朝はまず26th ストリートで現地の空気を吸おう。そして今自分がどこにいるかを少し引いて客観的に考えれると旅はもっとおもしろくなると思う。