All in my head

1994年生。元客船クルーの航海日誌 / IG @imknto はリアルタイムで更新中。

今日という日は明日のために クルーズ船クルー総集編

机に向かう時間が増えた今日この頃、気づけば世の中は大型連休に入ろうとしている。

もうそんな時期かと開いた手帳は真っ白、5月のスケジュールを1つでも作りたいのは本心だ。

なかなか長期間家にいることもないので部屋を掃除して断捨離したり、雑誌(主にPOPEYEと&Premium)を読み返したり、時には少し手の込んだ料理を作ってみるのも楽しい。

現像した写ルンですの写真を机に広げると日常生活に戻ってきた実感が徐々に湧いてくるのだった。

毎日休みのメリハリのない自粛生活、テレビをつければ見たくなくても入ってくる悲しいニュースと大量の情報。

今や昔、ほんの2ヵ月前まで普通にクルーズしていたのが信じがたいほど海そのものが文字通り遠い。

船上か海外旅行でほぼ家にいなかった2019年。 それこそが日常で、2020年の年明けを船で迎え今年もそうなると勝手に抱いていた期待は儚く崩れ去る。

しばし抜け殻状態で、並々ならぬ倦怠感からやる気が出ない日が続いた。

一冊の本

つい先日、筆者の愛読誌にも連載を持つ元編集者で執筆家の松浦弥太郎さんの著書「ほんとうの味方のつくりかた」を読了したことが一つの転機になった。

美しい装丁で出だしからその優しい語り口に引き込まれる。 読んでいる最中に買って良かったと確信するほどその内容はちょうど今自分が必要としていたものだった。

自分の内側にある味方、外側にある味方に一つずつ焦点を当てそれらの味方を意識と行動で身の周りに増やす方法が端的、かつ丁寧に読みやすく綴られていてる。

〇〇歳までにやりたい、〇〇成功術、〇〇の言葉!といった突発的な感情論とは全く異なった切り口の自己啓発系。

響く言葉の応酬の中でも一際、心に刺さったのは自分をじっくり見つめ直し、素直に受け入れる上で(人生は)おおむね、思うままにならないのが大前提、という一文、ふと合点がいった。

長らく欠いていた考え方はこれかと。 なぜなら船で働き始めてからの2年間、正直うまくいかないイメージをすることなく過ごしてきたから。

クルーズ船という職場

性格を表すとしたら闇深めの根暗系ポジティブ、さらに熱しやすく冷めやすいとこもある自分がここまで情熱を持って仕事する日が来るとは最初の仕事を辞めた時は思いもしなかった。振り返るとオーストラリアワーホリも満足こそしているが苦難の連続…。

そんな中でも帰国後、夜間で専門に通いつつ陸でジョブ(バイト)ホップを続け見つけたクルーズという仕事。

飛鳥に書類で落ち、諦めかけた夢はIndeedによって再燃。奇跡的にアジアを拠点とするSクルーズに入れて船員手帳まで取得した。

高みを目指しグローバルに展開するPクルーズに環境を変え、運も味方しポジションもブッフェレストランのウエイターからフォトグラファーという理想に近いところまでこぎつけた。

時間を常に気にしていかに速く楽に終わらせるかを突きつめていたあの頃とポジションは違えど船上という職場に変わりはない。

空と海の世界が広がる航海日、足りないくらいがちょうどいい寄港地での散策、国際的な乗員、乗客との交流…不朽のロマンがある。もちろんやりたくない事も時にはあるがそれも含めてこの仕事が好き、自分に合っていると言えるのは幸せなことだと家に帰ってきた今、より強く感じる。

根暗でシャイでは写真を売るどころか撮ることも出来ず、技術的にもまだまだ…同僚にはたくさん迷惑をかけこのままではお荷物でしかないという悔しさ、劣等感も忘れてはいない。

写真、そして文章、欲を言えば会話力この3つは常日頃から上手くなりたいと思う。

コロナウイルス

確かな技術を身につけて、喜ばれるポートレートを撮リたい。そしてアジア以外の航路を周ってから辞めるんだろう…そんな青写真を描いていた自分にとってコロナはまさに晴天の霹靂。

まさか自分の乗っている船で知らぬ間に感染が広がってるとは…横浜に戻った日ですら現実的に受け止めれなかったのが正直なところ。現実は数字を見ての通り悲惨なものとなってしまった。

この場を借りて亡くなった方々のご冥福をお祈りします。

そして多方面に及ぶたくさんのご支援に感謝します。本当にありがとうございました。

主観的に見たもの、感じたもの、そして客観的な見られ方、報道。1月の日々が夢かと思うくらい2月は辛いものでした。

船内にいたからこそ外部から入る色々な物から守られていたのかもしれません。

フォトグラファーは初日の乗船日からフォーマルナイト、レストランはもちろん下船日の朝まで(ほぼ全員の)乗客と浅く広く関わります。なので煙たがられるしその気配を一番察しているのは私たち。

このクルーズは海外の方が多そう、リピーターが多いな、日が経つと共に顔見知りができ、あのキッズは…あの家族は…ハネムーンか記念日かなどとさりげなく分析を進めているので知らぬ間にかなりの人数の顔を覚えたりしているもの。

14日間クルーズといつもより長かったこともあり、客室での隔離が始まり接触がとれなくなってからは余計にあの人たちは大丈夫だろうかと個々に心配していたが、安否を知る術はなかった。

職種に関わらず接客に携わるクルーはみな同じ気持ちだったかもしれない。

全乗客の下船が完了した後の船内はただただ閑散とし静寂…特に夜は空間そのものが眠っているかのよう。 活気溢れる船内が日常だったあの頃を想い、無人になった船内の写真を撮ることに決めた。

ツイートすることに躊躇したが写真は世に出てなんぼ…職業柄、不思議な使命感に駆られていた気もします。

順番に各国のチャーター機で帰路に就く同僚たち。

アメリカの次はEU、ヨーロピアン枠でチームに革命を起こしてきたマネージャーが一番先にいなくなるフォトデパートメント…呆気ない幕切れ。

その後もカナディアン、フィリピーナそして日本人の下船も刻一刻と近づく。

無念の下船。 船に長くいるのはさほど苦にならないクルーも流石に3週間は限界が近かったのでなないだろうか… さよなら大黒埠頭。

毎日見ていた横浜ベイブリッジもしばらく見納め。大桟橋ターミナルに停泊していた時にくぐっていたのがレインボーブリッジだったのでこの橋の正式名称を知ったのはかなり最近。

忘れかけていた足早に動く車窓に安定のバス酔い。

施設内隔離

ベランダがあるだけで日差しが入り、外の空気がいつでも吸える。会社の計らいで生活必需品も十分に備えられ不自由なく2週間過ごすことができました。

WSJ.の表紙、巻頭カラーを飾るA$AP ROCKYはグリル(銀歯)を見せて微笑む。そうだ、苦しい時こそ笑わなくては…

ワンセグTVと同僚に借りていたスピーカーはとりわけ重宝した。 久しぶりの民放、ANKERのポータブルスピーカーは返却後に同じものを購入するほど今ではなくてはならない存在に。

一日2回検温に来るいつメンの医療従事者2人組。 元気?調子はどう?何かいるものは?また後でね!といった短い会話からもパワーをもらえていた。

メディコー(MEDICAL)のハイトーンボイスと文化の違いを感じる強めのノック音は3部屋先からでも聞き取れる。今となっては懐かしい思い出でこの期間を過ごしたクルーはみな彼らのことが好き。

全力でケアされているんだと心強く感じるほどの素晴らしいホスピタリティを垣間見ることができた。途中から日本のお弁当がメニューに加わったその思いやりにも感謝。

PCR再テストでも陰性が確認され無事出所。

2週間ぶりの部屋の外、ロビーのグリーンゾーンにて初めて防護服無しのドクターに会えた。笑顔で短い会話を交わした時、あっこれで終わったんだと痛感した。

振り返ると本当にたくさんの人に支えられてなり立った計5週間の隔離生活、なんだかんだであっという間、手元には船内から帰宅までを共にした写ルンですがあった。

最後にもう一度お世話になった方々皆さんありがとうございました。

終わりに

これまでクルーズを題材にクルーとして働くメリットや寄港地での過ごし方など出来るだけポジティブな面を書いてきたつもりだ。クルーズを通して得た経験、情報を写真というツールを使って乗船クルーでいる限りは発信、さらにお世話になった方々に還元できたら何より嬉しい。

そして15話目の今回。あの一件については当事者として思うことも多く、複雑な胸中でいつか書こうとは思っていたが一番いいタイミングはいつだろうなどと考え先延ばしにしていたのが本当のところ。

松浦弥太郎さんの本に背中を押され今一度自分の状況を解釈し、書いてみたらずっとモヤモヤしていた脳内がいくらかスッキリした感覚に。著者いわく見えない、会った事のない読者の皆さんもまた筆者の味方なのかもしれない。

今後のクルーズ業界の再出発には厳しい意見や批判が向けられるのは間違いなく、どれだけ安全面を配慮してもこれまでのような日本発着の市場復活には相当な覚悟と時間が必要になる。

今年26際、 現場で働くのはそう長くないかもしれないが、どうなるにせよこの経験を糧に5年後、10年後ちゃんと自立出来るよう今は自粛、そして机上の空論的アイデアを蓄えて先の見えない再乗船の日を待つことにします。